「甘い、甘い、甘い。」

お姉さんと出会ってから、明日でちょうど二年。

共に暮らす部屋の中には、二人で撮った写真や思い出が増えていった。他に変わったことといえば、少し身長が伸びたことぐらいで、お姉さんを好きな気持ちも、つい意地悪したくなってしまう気持ちも昔と変わらない。

……いや、正確には昔よりもっと好きになっているし、恥ずかしがる姿をもっと見たくて意地悪をする頻度も多くなった気がする。事実、お姉さんが夕飯を作っている最中に、困るのを承知で後ろから抱き着いて離さなかったのも、記憶に新しい。

「クロさん、なんだかご機嫌ですね」

お姉さんのことを考えて居たら、自然と口角が上がってしまっていたらしい。

同じデザイン事務所で働く後輩から、声をかけられた。後輩の方を向くと同時に、今度は意図的に笑みを浮かべた。

「わかる?」
「顔に書いてありましたよ。幸せだなぁって」
「あははっ。ま、その通りなんだけど」

そう言って笑うと、先輩から「惚気か」というツッコミと、チョコレート菓子が飛んできた。難なくそれを受け止めて、口の中へ放り込む。

「食べ物を投げるのは、よくないと思いまーす」
「口に物が入ったまま話すのも、よくないと思いまーす!」

元気よく返された言葉に笑みをこぼす。

――二年前。お姉さんと出会っていなければ、今頃自分はここにいなかっただろう。幼い時に願った「いつか、自分がデザインしたドレスとヘアメイクで、大好きな人を世界で一番綺麗にしてあげたい。笑顔にしてあげたい」という夢に近づくことすらも、出来なかったと思う。

「……人生何が起きるかわかんないよねぇ」

チョコレートを噛み、口の中に広がる甘い香りに一息ついてから、クロはそう呟いた。

「なんだ。急に哲学的だな」

その言葉に、少し前まで惚気だなんだと騒がしかった先輩も静かになり、ずいとクロの方へと乗り出した。それから、はっとした表情を浮かべたかと思うと「なるほどなるほど」と頷き、先輩は言葉を続けた。

「わかった。幸せだーって惚気ておきながら、お前本当は同棲中の彼女とうまくいってないんだろ」
「えっ、そうなんですか!?」
「あるわけないじゃん」

きっぱりとその言葉を否定する。

先輩の妄言に騙された可哀想な後輩には、後でしっかりと言い聞かせておこう。推測で物事を言う時があるから、気を付けるように、と。

「良かった。大事な日の前に喧嘩しちゃったのかと思いました」
「大事な日?」

ほっとしたような表情の後輩とは対照的に、先輩ははてといった表情を浮かべ、首を傾げた。クロはチラと、先日届いた“例のモノ”を保管してある小部屋に視線を向け、にやりと笑った。

* * *

「明日、遅くなるの?」
「うん」

お姉さんが作ってくれたご飯を咀嚼しながら答える。

今日の夕飯は、鶏肉ときのこのグラタンと大根のサラダだった。とろりと溶けたチーズの塩気が美味しい。さっぱりとした味付けの大根が、ちょうどよい口直しになる。

「なんかね、打ち合わせの後、そのままご飯行くんだって~。俺はお姉さんが作ってくれたご飯の方がいいんだけどさ」

そう言ってむぅ、と頬を膨らませると、お姉さんは少し笑った。

「せっかくの記念日なのにごめんね?」

伏し目がちに謝れば、お姉さんは許してくれる。案の定「気にしないで」と言ってくれた彼女に、少しの罪悪感を覚えながらサラダに箸を伸ばすのだった。

* * *

帰りが遅くなると口にしてから、十時間。舌の根も乾かないうちに、家へ帰ってきていた。運び込んだ荷物を見渡して、「さてと。やりますか」と呟く。

タイムリミットまで、あと二時間。今までのどんな悪戯よりも、もっとすごい、驚きの時間をプレゼントしようと心に決めた。

「……で、きたぁ」

額に浮かんだ汗をぐいと拭う。思っていたよりも身体を動かしたせいか、首筋に違和感があるが、それはそれ、これはこれ。程よい疲れと達成感に身をゆだねる。

もうすぐ彼女も帰ってくるだろう。驚きは、二重にも三重にも重ねた方が、印象に残りやすい。出来れば一生の思い出になるように願いながら、部屋の明かりを消した。

――ガチャリ。

少ししてから、玄関の鍵が開けられる音が響く。あと数分遅かったら、自分が家にいることはバレてしまっていただろう。タイミングのよさにクロはニッと笑い、玄関へと向かった。

「おかえり、お姉さん」

センサーが反応して、自動的に照らされた明かりの下、そう言って出迎えると、お姉さんは驚いた表情で瞬きを繰り返した。

どうして、と彼女の口元が動く。明確な答えを出さないまま、お姉さんの手を握り、部屋へと誘う。

未だ状況を理解出来ていないお姉さんが、部屋の中に足を一歩踏み入れると、感嘆の声が漏れた。花瓶には大きな花束を、天井からは色とりどりの毛糸風船がぶら下がっている。

「今日はお姉さんと出会った、大事な記念日だからね。驚かせようと思って、準備してたんだ」

びっくりしてくれた? 悪戯っこのような笑みを浮かべて、問いかける。嬉しいような、恥ずかしいような、甘い笑顔を向けられて握った手に思わず力が籠った。

「……そうだ。あともう一個プレゼントがあるんだ。目、つぶって待ってて」

今すぐに抱きしめたい衝動を抑え込んで、お姉さんの手を離し隣の部屋へと向かう。見た目よりも重たいソレを、落とさない様に注意しながら、彼女の元へと運び込んだ。

「開けていいよ」

その言葉に、お姉さんの瞼がゆるゆると開かれる。瞬間、息をのむ音がはっきりと聞こえた。

「俺がデザインした、世界に一つしかないウェディングドレスだよ」

お姉さんの心の様に真っ白で。ふわふわと笑う笑顔のように、優しいシルエットをした、世界に一つしかないお姉さんのためのウェディングドレスだ。背中から足先に向けて波打つ様は、人魚のようだとも思う。

今日という日のために。何よりも、大好きなお姉さんのために。内緒で準備していたウェディングドレスを、一番見せたかった人に、ようやく見せることが出来た。

「いつか、自分がデザインしたドレスとヘアメイクで、大好きな人を世界で一番綺麗にしてあげたい。笑顔にしてあげたい。忘れかけていた夢を思い出させてくれたお姉さんに、俺からのプレゼント」

喜んでもらえるかなんて、聞くまでもなかった。

隣に立つお姉さんの目から、宝石みたいにきらきらした涙が溢れていく。

「俺、まだまだ勉強しなきゃいけないこといっぱいあるし、しらすもちょっとしか食べられないけど……。お姉さんを好きだって気持ちは、誰にも負けないから。……だから」

そっと、お姉さんの頬に手を添えて、ずっと言いたかった言葉を、届ける。

「――俺と、結婚してください」

想いが少しでも多く伝わりますように。そんな願いを込めながら、真っ直ぐと、彼女の目を見つめた。何かを言おうとした唇は、空気を震わせるばかりで、言葉にならない。後から後から、とめどなく流れてくる透明な粒を親指で拭うと、自分よりも少しばかり小さな手が手の甲に触れた。

泣きながら笑って、頷く姿が、ただただ愛おしいと思うのだった。

END